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日本LD学会設立20周年

  • 2012.11.26 Monday
  • 15:36
日本LD学会の設立から今日まで、そして明日の課題
(一般社団法人)日本LD学会理事長 上野一彦
 
「組織20年説」という言葉がある。多くの組織が生まれ育つ時、最初の20年間は創成の熱い思いと困難を一丸となって乗り切ろうとする人の和によって、組織の弱さや欠点は絶えず修復され良い方向に前進を遂げる。しかし、本当の困難は創成期を終え、次ぎの伸長期、あるいは安定期に来るという。日本LD学会は1992年に設立,この11月で満20周年を迎える。まさにその最初の20年を終え、次の20年に向かっての大切な節目というわけである。
 わが国における「LD」理解の始まり
振り返ると、LD概念の登場は1963年、米国におけるS.A.カークのシカゴでの講演がその契機であったといわれる。わが国への伝播は2冊の訳書が端緒となった。
『ITPAによる学習能力障害の診断と治療(1974年)S.A.カーク・W.D.カーク(著)、三木安正・上野一彦・越智啓子(訳)』(日本文化科学社)
『学習能力の障害―心理神経学的診断と治療教育(1975年)H.R.マイクルバスト(著)、森永良子・上村菊朗(訳)』(日本文化科学社)
この時代、何の定訳もないままに、奇しくもどちらもLDを学習能力(の)障害と訳している。
やがてこれら研究者たちによる点としてのLD紹介は線としての連携となった。NHK教育テレビでのLD紹介番組などを通して次第に全国の親たちにもLDの存在は少しずつ理解されていった。その後、1982年に最初に設立された「あいちLD親の会かたつむり」を皮切りに各地で生まれたLD親の会は、1990年には「全国LD親の会」としての活動を開始した(最初の1年間、私の研究室にその事務局が置かれた)。
この全国LD親の会が2月に設立された時の秘話を一つする。私の同期でNHKの横浜局のチーフ・アナウンサーをしていた岡部晃彦氏に、同窓の好で取材をお願いした。教育畑にも関心の高かった彼の尽力により、5月にはこれらの動きが朝の番組で全国放送として流された。彼が番組を終え、スタッフルームへ戻ると部屋中の電話が鳴り響き、スタッフ全員が応対に追われるという反響のすごさは今でも語り草になっていると聞く。
こうした動向を背景に、1990年における(当時)文部省の「通級指導に関する調査研究協力者会議」(座長:山口薫)、1992年からの「LDに関する調査研究協力者会議」(座長:山口薫)でのLD教育の公的な検討へと展開されていった。
 日本LD学会の誕生
機運が高まるなか、1992年11月、日本LD学会(当初、日本LD研究会)が専門家だけでなく、親たちの支援のもとにスタートした。本学会は,学術関係者だけでなく、教育現場における教員や社会啓発の先頭に立ってきた保護者も構成員であるところにある。こうした「科学と実践の重視は,LD学会の最大の特徴」であり、その後の学会発展のバックボーンともなっている。
ここでも忘れ得ぬ思い出話を一つしておきたい。すでに鬼籍に入られた初代会長長瀬又男氏、事務局長下司昌一氏、長畑正道氏、上村菊朗氏らを初め、学会の創設と創成期を共に支えてきた中根晃氏、森永良子氏、佐々木正美氏、大石敬子氏、野村東助氏、牟田悦子氏ら多くの方々とともに学会設立の準備をしてきた。
この重要な時期である1992年の3月に、私は文部省の在外研究で日本を離れることになり、下司先生らにすべてを託しての渡米となった。当時はインターネットなどまだ普及しておらず、faxと手紙でのやり取りがすべてであった。同年11月、資金的にもかなりのリスクを負っての最初の学会が上智大学で開催された。それは300人足らずのささやかな船出だったと聞く。私はといえば、下司先生からの報告を片手にニューヨークのアパートで一人、日本での熱気を想像しつつ祝杯を挙げた次第である。
思えば同年7月、文部省から「LDに関する調査研究協力者会議」委員の就任要請があり、引き受けたものの半年間欠席せざるを得なかった。帰国後、LD定義をどうするかで、遅々として進んでない様子を見て、「米国ではLDの定義論争はすでに終わっている。私は半年間出席できなかったので、半年分意見を言わせてほしい。」と、今思えばとんでもない強気の跳ねっ返りの委員だった。それも私たちの肩にLDの子どもや親たちの悩みや苦しみを背負っているとの自負があったからだと思う。
1994年の第3回大会で日本LD研究会は日本LD学会へと名称変更し、長瀬先生の後を継ぎ私は会長(法人化後理事長)となり現在に至っている。あえてLDの名をそのままに学術団体としての登録(当時は学術団体としての登録が必要だった)もしたが、学習障害ではなく、LDという表記を広めていきたいという判断がそこにはあった。
 SENS協会の設立と法人化
 「21世紀の特殊教育の在り方に関する調査研究協力者会議」(座長:河合隼雄)の席上だったと思うが、「通級による指導」の対象として、LDやADHD、高機能自閉症などを指導対象にして欲しいという意見に対し、そうした専門の指導教員がほとんどいないという返答があった。そこで学会自らがそうした専門指導者の養成をしようと、竹田契一氏、下司昌一氏、花熊暁氏、宮本信也氏、柘植雅義氏ら、学会の主要メンバーらと相談し、「LD教育士(のちに特別支援教育士:SENS)」の指導者養成のための資格認定事業を開始した。
これら事業は時代のニーズでもあった。2009年4月には学会の一般社団法人化と特別支援教育士資格認定協会(SENS協会)の一般財団法人化を、社会的責務を一層明らかにするべく同時に実施した。
20周年をどのように迎え、今後、学会・協会を車の両輪として、これら子どもたち、人々のためにどのように発展させるか、まさに
そうした壮大な夢を語り合うなか、LD啓発の無二の戦友であり、学会・協会のエンジンともいうべき下司昌一氏を突然の病で失った。
 この活力あふれる学会を、LDを初め、発達障害、さらにはすべての支援を待つ子どもたち・人々の明日の在り方につなげるためにも、次の世代に上手にバトンタッチしていきたいと下司先生の墓前に誓うものである。
 LD学会・SENS協会のこれからの課題
学会設立以来20年,わが国におけるLD研究と実践の基盤作りの段階はほぼ終わり,大いなる飛躍の時を今,迎えようとしている。この度の学会・協会の事務局の東京移転は、次世代への基礎作りの第一歩である。今日、学会会員数は、正会員7,551名、協会のSENS及びSENS-SV取得者は3,685名(内SENS-SV,342名)である。
2005年の発達障害者支援法の施行以来,発達障害をめぐる状況は一変し,その後さまざまな関連法にも発達障害が書き込まれつつある。2006年以降,小中学校における「通級による指導」では正式にLDやADHDが指導対象となり、その数も急増している。さらに2002年の通常学級における全国調査からちょうど10年目にあたる今日、文部科学省は再調査を実施した。これから報告される内容は,新たな充実施策の展開のためにも大いに期待される。まさに「理解と啓発の時代から,効果的な支援と対応の時代へ」の移行である。
 こうした経緯を踏まえ,次の20年、発達障害をめぐって取り組まなければならない課題と方向性を挙げておく。
“達障害、なかでもLDの障害状態は、障害のあるものとそうでないものとの中間的に位置する、いわば架橋的役割がある。障害を単に種別的に理解するのではなく,その支援ニーズを質と量から,連続体としてとらえていくことが大切である。もはや特別支援教育ではなく支援教育と呼ぶべき時期に到達している。
△錣譴錣譴learning disabilitiesという概念を根底にlearning differences(学びの相異)という考え方を大切にする立場をとる。
それは学びの保障を意味する。新しい時代のICTなど利用によるAT
(支援技術)の開発と利用が焦点となる。
6軌蕁Π緡邸κ〇磧ο働など,各界が希求する最終ゴールは,彼らの自立と社会参加であり,より質の高い生活への連動した支援体制作りである。そうした支援においては,利用しやすく,具体的効果のみえることをこそ評価しなければならない。
これら課題を、皆さんとともに解決していきたいと強く願う。

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