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  • 2014.07.24 Thursday

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中根晃先生の訃報に接し

  • 2013.11.14 Thursday
  • 10:09

 中根晃先生の訃報に接しました。
 「清き巨星堕つ」それが正直なわたくしの印象です。約8千人もの会員を擁する日本LD学会の今日の礎を造られた先達のひとりであり、医師という立場で、常に暖かく、そして厳しく私たちを導いて下さいました。まさに学際的な学会の在り方を指導してくださった大切な方でもありました。副理事長(当時副会長)という立場でお支えくださった時期もありました。
 医学、心理、教育などの学際的領域で、概念などについてもさまざまな混乱ある中、その道を切り拓いていく過程で、ひとにたいしては優しく、理論的に対しては厳しくは、筋を通す方でした。それだけに困ったときには「先生どう考えたらよいのでしょう?」とお尋ねするすることも多くあったこと記憶します。
現役を退かれた後、地方で開催された学会の時、足をのばされてお好きなチョウチョの観察にお出かけなるお姿お見受けしました。すでに鬼籍に入られた下司昌一先生もそうでしたが、たまたま珍しいチョウチョの写真など撮ったりしたとき、mailでお尋ねすると、いつもていねいに嬉しそうにご返事くださいました。
 昨年20周年の時、先生から記念の原稿いただいた時、「話すよりも書く方が得意なのだ」とよくおっしゃっていた先生の筆にかすかな乱れを感じ、心配しておりました。ゆっくりこれまでのことお伺いしたいなと思っていた矢先の訃報でした。
 LDだけでなく、ADHD、ASDなど発達障害のある子ども、人達への支援、そして安心して暮らせる社会が実現しつつあります。その先生の夢を受け継いでいくことをここにお約束したいと思います。どうぞ安らかにお休みください。美しいチョウチョを存分に追いかけてください。ご冥福心よりお祈りいたします。

 (一般社団法人 日本LD学会理事長 上野一彦)

文科省 発達障害に関する全国実態調査について

  • 2013.01.03 Thursday
  • 20:38
通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について

2012年12月5日、文部科学省初等中等教育局特別支援教育課から「通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査について」が公表された。
この調査報告はカズ先生も参加した協力者会議の報告であるが、10年前の2002年に実施された「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する全国実態調査」の再調査でもある。2002年の調査によって得られた結果は、その後の特別支援教育における発達障害の施策展開に大きな役割を果たした。たまたま両方の調査に関与したものとして、今回の結果についてコメントをしておきたい。

前回と今回の調査は共に、学級担任に対して LD、ADHD、高機能自閉症などにみられる学習・行動特徴を顕著に示す児童生徒について判断させ、回答させている。発達障害の専門家チームによる判断や、医師による診断による専門的な診断に則ったものではなく、発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒の割合を示すものであることに留意しなければならない。また今回の調査は、 2002年に行った調査とは対象地域、学校や児童生徒の抽出方法が異なることから、その増減については単純な比較をすることには十分留意するよう報告書では述べられている。
しかし、今回の結果は前回とかなり類似しており、前回の調査の妥当性も検証されたといえる。

今回の調査気任倭芦鵑汎瑛佑法↓ヽ惱面と行動面(ADHD的側面)9堝位漫聞盖’充閉症的側面)について調べている。結果から、学習や行動面で著しく発達障害的特徴を示すと判断される児童生徒が全体で6.5%(小学校7.7%、中学校4.0%)いるという回答を通常の学級の教師から得られたことは重要な結果と言える。前回の調査6.3%(推定68万人)が、その後の特別支援教育に与えたインパクトは、その後の特別支援教育推進体制推進の大きなきっかけとなった。今回、児童数減少傾向の中でも6.5%という信頼できる数値がえられたことは、約61万人もの児童生徒が通常の学級で顕著な困難を抱えていることが明らかにされたわけで、このことは重い事実として受けとめなければならない。次に、困難の有無の判断のポイントは連続しており、なしと判断された子どもの中にも潜在的な困難予備軍がいることを忘れてはならない。
最後に、特に学年進行とともに数値が変化することに対する解釈は慎重に行わなくてはならない特に、ヽ惱の困難については、小学校では高学年になるに従って減少し、中学校では2%前後にまで減少する。それは各年齢とも同じ調査項目(学習面の困難についての本質的困難を調べるために、小学校3,4年生までに表面化する困難を強く意識して作成している)を使用し、同じ判断基準を用いているためであり、そうした困難が年齢進行解消していくという単純な解釈はできない。むしろ、中学生での2%の生徒は、かなり決定的な困難を抱えているとみるべきであろう。

次に調査の後半では、困難を抱えている児童生徒がどのような支援を受けているかを調べている。つまり、知的発達に遅れはないものの学習面又は行動面で著しい困難を示すとされた児童生徒(推定値6.5%)の受けている支援の状況に関する調査である。2006年度から「通級による指導」での指導対象にLD,ADHDが、そして情緒障害から自閉症が分離されるようになり、現在、それら発達障害系の児童生徒の「通級による指導」の利用は約3万人と急増している。この著しい困難をもつ児童生徒(6.5%)はどのような支援を受けているのであろうか。
この6.5%の児童生徒は、設問7「校内委員会において、現在、特別な教育的支援が必要と判断されていまか」において、校内委員会で支援が必要と判断されている(18.4%)必要と判断されていない(79.0%)であった。このことは、これらの児童生徒が校内委員会に掛けられていないわけで、すでに推進体制調査の中で95%以上も設置されていると回答のある校内委員会が十分にまだ起動していないことを示していると思われる。
しかし設問8の「支援の状況の概観」では、55.1%が現在いずれかの支援がなされていると回答している。また3.1%は過去に何らかの支援がなされていたと応えているが、指導改善の結果、支援が必要なくなったのか、学年進行とともに支援のリソースが利用しにくくなった結果なのかは不明である。
設問9は、この「いずれかの支援がなされている」55.1%の中味である(複数回答も含む)。実際に「通級による指導」を受けているものは、自校通級・他校通級を合わせてもわずか5%弱である。現在、3万人程度が「通級による指導」を利用しているが、その現状を表しているともいえる。
個別の指導計画の作成も1割弱である。しかし支援員もない状態で通常の学級では、これらの児童生徒に対して教師は個別の配慮や支援を44.6%は行っている。こうした困難のある児童生徒への理解を深めつつ、学校としての支援体制がまだ不十分な中で、教師たちは学級の中で個人的理解と対応を必死にやっているという姿が目に浮かぶ。

JUGEMテーマ:教育

IDE 現代の高等教育 「発達障害学生への対応」 12月号掲載

  • 2012.10.31 Wednesday
  • 07:06
IDE 現代の高等教育 「発達障害学生への対応」 12月号掲載

平成16年12月、超党派の議員立法で「発達障害者支援法」が成立し、翌17年4月から施行された。LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、自閉症等、いわゆる発達障害と総称され、教育的な特別な支援の対象外に置かれていた児童生徒への本格的な理解と対応が始まることとなった。発達障害のある者、その保護者、そうした児者に対しての啓発と指導に取り組んできた専門家たちにとって、長年希求してきた厚い扉がやっと開いた瞬間でもあった。

1 発達障害を理解するための基本的事項
わが国で法律的に用いられる「発達障害」は、国際的、あるいは学際的に必ずしも合意された概念ではない。その理由は、知的な発達の遅れをもつ知的障害(かつては精神遅滞と呼ばれていた)をめぐっての概念的混乱がそこにはあるからである。
医学領域では、米国精神医学会の診断分類であるDSM--R(1987)により「発達障害(developmental disorders)」の概念が導入され、精神遅滞、広汎性発達障害、特異性発達障害があげられた。第4版(DSM-,1994)では、LDとほぼ同義である特異的発達障害の名称が消えた。伝え聞くところでは第5版(DSM-后砲間もなく刊行されるが、精神遅滞は知的障害に、広汎性発達障害やアスペルガー障害は自閉症スペクトラム障害へと概念名称も大きく変化するようである。
わが国では先の発達障害者支援法により、発達障害は、「自閉症、アスペルガー症候群(障害)その他の広汎性発達障害、学習障害、注意多動性障害その他これに類する脳機能の障害」とされている。知的障害は、すでに支援する法律があったためこの法律の対象からは除かれている。
自閉症はすべての知的発達水準で存在するが、WHOが編集する国際疾病分類ICD-10によれば、「約4分の3の症例では、著しい精神遅滞が認められる」とある。知的障害を伴う自閉症はすでに支援の対象ではあったが、発達障害者支援法によってその特性理解を一層深めるとともに、知的発達に遅れのない高機能自閉症やアスペルガー症候群への新たな対応が保障されたわけである。
もうひとつ、発達障害を理解する基本事項としてあげておきたいのは、自閉症やADHDが医学的な用語であるのに対し、LDはこの用語の発祥である米国などでは教育用語として成熟してきたという事実である。米国の学校教育ではLDの支援のための有資格認定はスクールサイコロジストと教師によってなされるのに対し、わが国では伝統的に医師の診断が前提となるケースが多い。
平成4年から11年における文部科学省の「学習障害及びこれに類似する学習上の困難を有する児童生徒の指導方法に関する調査研究協力者会議」において示されたガイドラインでも、LDに関しては専門家チームにおける総合的検討による「判断」という言葉を用い、医学用語を連想させる「診断」という表記を避けている。
 
2 初等中等教育における特別支援教育をリードする発達障害
平成18年度から義務教育段階における特別支援教育制度である「通級による指導」に初めてLDとADHDが指導対象として明記された。同時に、それまで情緒障害という種別の中で扱われてきた自閉症を分離し、新たな障害種別として扱うこととなった。その結果、発達障害者支援法が施行された平成17年度以降の「通級による指導」を受けている児童生徒数の推移をみると、初等中等教育における特別支援教育の中で発達障害への支援が劇的に拡充していく様子がよく分かる。
LD、ADHD、自閉症など、新たに障害種として認められた発達障害のある児童生徒の「通級による指導」総数は、平成18年度の6,894人から、5年後の平成23年度には25,181人と3.7倍にも急増している。他の障害種の数がほとんど変わらないか、微増に留まっていることと比較しても、特殊教育から特別支援教育への転換の中で、発達障害が大きな役割を演じていることが示される。
これらの急激な伸びが今後どのように推移するかについては、「通級による指導」が期待通りの教育効果を挙げるならば、という条件付きではあるが、さらに何倍にも増える可能性がある。その根拠は、潜在的に通常の学級にいる発達障害のある児童生徒の数の推定にある。
平成14年に文部科学省が、通常の学級の担任を対象に、LD、ADHD、高機能自閉症などの学習・行動特徴を有する児童生徒に関する全国実態調査を行っている。この調査では、発達障害間の重複を認めたうえで6.3%という数値が報告され、その後の特別支援教育における発達障害施策展開の拠り所とされた。この約6%という割合から推定される発達障害の総数は60万人を超えており、支援を求めるニーズはまだまだあると予想される。(この調査からちょうど10年目の現在、再調査が実施されており、その結果報告が待たれているところである。)

3 高等教育にも波及し始めた発達障害のある学生への理解
発達障害のある者に対する教育支援は、初等中等教育から高等教育へと次第に水位が上がるように進みつつある。発達障害者支援法の第8条にも「大学及び高等専門学校は、発達障害者の障害の状態に応じ、適切な教育上の配慮をするものとする」と規定されてはいるがその速度はまだ緩慢である。
日本学生支援機構では平成17年度より、毎年全国の高等教育機関における障害のある学生の修学支援に関する実態調査を毎年行っている。この調査は回収率100%という驚異的な数値で知られるが、高等教育機関における障害学生支援の実態を明らかにする数少ない貴重な調査といえる。
本年2月に公表された平成23年度調査結果によれば、高等教育機関に在籍する障害のある学生数は、10,236人だった。この調査での障害学生数は、身体障害者手帳等(精神障害者保健福祉手帳、療育手帳)を有している学生や健康診断等において障害があることが明らかになった学生の数である。高等教育機関に在籍する全学生数は約324万人なので障害学生の割合は、全体の0.32%(平成21年度0.22%、平成22年度0.27%)となる。障害種別については次の表に示される。

 表 高等教育機関における障害種別による学生数 全障害学生数10,236(人)平成23年5月1日現在
視覚障害 681人(6.7%)/聴覚・言語障害 1,556人(15.2%)/肢体不自由 2,491人(24.3%)/
病弱・虚弱 2,047人(20.0%)/重複170人(1.7%)/
発達障害(診断書有) 1,453人(14.2%)
その他 1,838人(18.0%)
(出所:「障害のある学生の修学支援状況」日本学生支援機構)

表によれば、発達障害のある学生が全障害学生に占める割合は、14.2%(平成21年度8%、平成22年度12%)であり、割合は決して高くはないが増加傾向は顕著である。近藤武夫は平成23年5月に開かれた第6回全国大学入学者選抜連絡協議会における「日米比較からの知見」と題する発表のなかで、米国における高等教育における障害学生の割合は10%を超えており、LDとADHDが30%近くを占めていると報告しており、日米の間では数値の上には大きな乖離がある。障害の種別や分類法は国によっても相異があるので単純な比較はできないが、わが国においては後発ともいえる発達障害のある学生への高等教育における理解や支援体制はまだ着手されたばかりといっても過言ではないだろう。

4 センター試験における特別措置としての発達障害区分の導入
高等教育における発達障害のある学生の受け入れは、その数からみれば始まったばかりであるが、その入口に位置する大学入試センター試験では平成23年度入学者選抜(平成22年1月実施))において大きな変化があった。大学共通一次試験が改称され大学入試センター試験として初めて実施されたのは平成2年1月からであるが、身体障害のある者への特別措置は当初からあった。
平成23年度入学者選抜から従来の身体障害に属する、視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、病弱に続き、5番目に発達障害区分が導入された。目前に迫っている国際的な障害者の権利に関する条約の批准と、国内における発達障害支援法の施行と具体的な施策展開のなかで、初等中等教育における発達障害のへの理解推進が大きく進み、数年後には高等教育にも波及してくることが十分に予想されるなどの動向がその背景にはあったと思う。
センター試験においては、発達障害はその様態が多様であることから、医学の診断書と同時に、教育関係者からの状況報告・意見書を求めているのが特徴である。主要な措置事項としては、初年度は、読みに関する障害が認められる場合の「試験時間の延長」や「拡大文字問題冊子の配布」、マークシートを塗りつぶす代替措置としての「チェック解答」、環境調整としての「別室の設定」等が、次年度には「注意事項等の文書による伝達」が付け加えられた。
これらの事項の決定は、申請に応じて専門家による特別措置委員会によって判断される。また来年の実施にあたっては、すべての特別措置申請が、従来よりも一カ月繰り上げられ8月1日からとなり、9月5日(消印有効)までに申請のあったものについては、9月中に本人に結果が通知されることとなった。これまでの12月という措置決定は遅く、推薦入試や受験希望大学の決定のために、少しでも早く結果を伝えて欲しいという志願者からの要望に応える大きな変更である。
こうしたセンター試験における変化は、特別支援教育についての高等学校側の一層の理解と対応が前提となるものであるとともに、センター試験を利用しない大学や二次試験などにおける各大学での発達障害に対する特別措置の広がりを求めることにもなるだろう。同時に、試験を課さないAO入試等の入学者のなかにも発達障害のある学生がかなりいることが予想される。これら入学させた学生に対して適切な教育支援を行う責務を大学自身が負うべきであることを自覚しなければならない。

5 発達障害のある学生に対する教育支援と残された課題
発達障害は、障害としてはこれまで支援の対象外にあった新しい障害であり、見えにくい(インビジブル)障害ともいわれる。いいかえるとその障害状態は、障害のあるものとそうでないものとの中間的に位置しており、いわば架橋的な存在であるともいえる。しかし、彼らが個性的存在であり、いかに中間的な存在であるとしても、支援を必要としていることに違いはない。
先の日本学生支援機構の例年の調査でも,発達障害の場合、医者の診断書は持っていないが学生生活を維持するうえで支援が必要だと判断されたものは診断書を有する学生の2倍以上もいる。そうした学生も含め、学生生活における具体的な支援とはどのようなものが必要であろうか。高等教育における発達障害のある学生に対する具体的な支援について述べる。
センター試験において発達障害区分が導入され、特別措置に大きな変化を与えたが米国や英国の大学入試における特別措置と比較しての大きな相違は、LDの中核にある読み書き障害に対する人的サポートである。つまり経験のある代読者や代筆者の採用であるが、欧米では二親等以内の人や担任教師がその任にあたることは制限されており、これら質の高い人材を見つけることは必ずしも容易ではない。
むしろ、今後期待されるのは、読み上げソフトなどPC等の利用ではないだろうか。
ただし、ここでもさまざまな条件がつく。進歩の著しいICTの世界で、使い慣れたPCを用いるためには、個人所有のPC使用を認めることが現実的であるが、どのような使用制限とその監視体制、疑義が生じた場合のプロトコル処理体制など、検討・整備しなければならない事項は多い。何よりもこうした条件整備にあたっては、高等学校等における通常の授業や日常環境でのこれら機器の使用が十分に普及しなければ公平性の担保が強く要求される試験環境には馴染まないというもどかしさが残る。
学生が潜在的に持つ基本的能力が障害等によって十分に発揮されない状況の時、さまざまな支援や措置によって、その力が発揮できる環境を保障にするという考え(アコモデーション)がそこにはある。同時にコスト面や物理的制約等から、必ずしも同じ内容を常に担保するのではなく、質を変えてもその公平性が損なわれないと判断する考え(モディフィケーション)もあることを検討課題として挙げておこう。
 こうした入試における特別措置の多くは、入学後の授業等においての支援サービスとして継続しなければ意味がない。それら事項を列挙してみよう。.ΕД屮汽ぅ箸らの授業内容をダウンロードできるサービス、∋前に授業内容のコピーを渡すサービス、テープやデジタル教材のサービス、ぜ業時におけるPCやテープレコーダー等の使用許可、ゥ痢璽肇董璽ーサービス(ノートが取れない学生への配慮)Τ惱サポートチューターや日常的なカウンセリングサービス等。
大切なことはこれらサービスが本人にとって利用しやすく、また効果を十分上げなければサービスに値しないということを、準備する側が十分に認識しなければならないことを最後に指摘しておこう。(了)

あいちLD親の会かたつむり30周年を迎える

  • 2012.10.29 Monday
  • 08:16
かたつむり30周年に寄せて
一般社団法人日本LD学会理事長 上野一彦

 本年11月日本LD学会は設立20周年を迎える。その学会の記念行事の準備に取り掛かるなかで、名古屋のLD親の会「かたつむり」が30周年を迎えることを聞いた。そういえば、「かたつむり」の設立1周年、10周年、20周年と、節目となる機会の度に招かれてきたことを改めて思い出す。まさに「かたつむり」は、わが国のLD啓発の原点であった。
 私は1970年代にLDという概念を日本に伝えた一人であったと自負している。そうした私どもを常に励まし、力づけ、その理解と対応の中心にあって、エネルギーを供給し続けてくれたのが「かたつむり」であった。やがて全国LD親の会、日本LD学会が誕生する時にも「かたつむり」のメンバーはそこにいた。いわば我々は、LDとその周辺にある子どもたちの理解と支援を求める闘いの最前線にあって、ほんとうの戦友であったと思う。
あらためて万感の思いを込めて「かたつむり30周年おめでとう!」のエールを送ります。


上野先生
 昨日はお忙しい中ご講演を賜り、誠にありがとうございました。
これまでのあゆみや最新の情報をわかりやすくお伝えいただき、参加された先生方からも「これからの視点や課題をいただきました。
そして同じ方向を向いている人が何人もいることを会場で感じました。
ただの記念フォーラムではなく、未来につながる会だと思いました。」等の感想をいただきました。
 上野先生のお話を伺い「30年訴え続けてやっと枠組みが出来た」「これから一層、力を尽くしていかねば」との思いを新たにいたしました。
また、新たな歴史を刻めるよう務めてまいります。 今後ともご指導ご支援賜りますよう、どうかよろしくお願いいたします。ほんとうにありがとうございました。

            あいちLD親の会かたつむり

スティーブン・スピルバーグ、LDを告白

  • 2012.10.04 Thursday
  • 11:09
映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏(65)が自分に学習障害があり、そ
れが原因で子ども時代にはいじめられていたとインタビューで告白し、話題と
なっている。「学校へ行くのが大嫌いだったが、映画づくりを通して救われた」
と語っている。

 スピルバーグ氏が公表したのは、読み書きが困難になる「ディスレクシア」と
呼ばれる障害。5年前に初めて診断され、「自分についての大きな謎が解けた」
という。小学生の時は読み書きのレベルが同級生より2年遅れ、「3年生のころ
は、クラスの前で読むことを求められるのがいやで、とにかく学校へ行きたくな
かった」「先生も心配してくれたが、学習障害についての知識もない時代で、十
分に勉強していないと思われた」と打ち明けた。今でも、本や脚本を読むのに、
多くの人の倍近く時間がかかるという。

 また、学習障害がきっかけでからかわれ、いじめられたことも明らかに。「中
学時代が一番つらかった。他人の立場から自分を見ることがまだできない子ども
は本当にきつく、嫌なことをする。今は理解できるし、恨みもないが、大変だっ
た」と話した。一方、「自分が被害者と思ったことは一度もない。映画づくり
が、負わなくていい重みから私を救ってくれた」とも述べ、10代初めから撮り
始めた8ミリ映画が支えになったと話した。
JUGEMテーマ:教育


日本発達障害ネットワーク(JDDnet)体験博覧会ワークショップ

  • 2012.09.28 Friday
  • 10:19
12月2日福島大学でJDD年次総会が開かれるが、前日に体験博覧会ワークショップが開かれる。
私も一コマ担当することにした。発達障害のある人々の成人課題「ユニバーサル就労」に続く「本当の人生の在り方」を求めて課題が山積している。「発達障害のある青年の自立と社会参加を考える−かれらはどのような大人として生きていくのだろうか−」というタイトルで皆さんと一緒に考えてみたい。
企画書概要
特別支援教育のなかで発達障害のある児童生徒の理解と対応は大きく進みつつある。10年ぶりの実態調査の結果が報告されようとしているが、「理解・啓発から具体的指導・支援」のステージへ移行しつつある今、今後の課題としては何があげられるのだろうか。どの発達時期においても彼らの自立と社会参加はゴールとして常に意識しなければならない。しかし、単に就労だけでなく、本当に人間として質の高い生活を送るために、あるいは親亡き後、彼らのとって必要な準備とは何なのだろうか。簡単に出る答えではないが、だからこそ本音で語り合ってみたい。共に心を寄せ、肌を暖めあえるスキンシップ・ライフを求めて、一緒に考えることを今始めなければならない。最近の親学的な建前論や対処療法的な支援論・技術論ばかりが横行するのはなぜだろうか。あえてこの究極の課題を採りあげ、我々の支援の本筋を見極めてみたい。

発達障害は伝統的子育てによって本当に予防・防止できるのか

  • 2012.07.18 Wednesday
  • 06:00
巻頭論文 21世紀の教育ビジョン  教職研修(2012年8月号)  教育開発研究所

上野一彦(東京学芸大学名誉教授/日本LD学会理事長)

5月7日、大阪市「維新の会」市議団が、議員提案を予定していた「家庭教育支援条例案」を白紙撤回した。その背景には、発達障害ネットワークに参画する多くの親の会や自閉症協会などの強い抗議があり、条例の撤回に至ったと言われるが、その問題点についてあえて触れてみたい。

発達障害は親の育て方によって生じるものではない
今回の条例案を初めて目にした発達障害関係者は、大きな驚きと深い悲しみを味わった。これまでさまざまな無理解と闘い、困難な棘(いばら)の道を一歩一歩切り拓いてきたものたちにとって、『発達障害は親の育て方によって生じる』かのような物言いは、科学的に完全に払しょくされた過去の亡霊と呼ぶべき類のものといわざるを得ない。
現代の教育課題というより社会的課題ともなっている「児童虐待」等をとりあげ、その根本原因として、親心の喪失と親の保護能力の衰退と決めつける。多くの人々が心を痛めているテーマを採りあげるところは、機を見るに敏ではあるが、その結論はお粗末の一言である。家庭や社会構造の変化を精神論で解決可能とすること自体、あまりにも単純で幼稚な論理展開である。
 戦後、勤労階層が一気に増え、核家族化の進行により地域コミュニティが壊れたことや、家庭・家族の絆の崩壊により、伝統的な教育像からはかけ離れた多様な問題が起おきていることは誰しもが認めるところである。しかしそうした動向分析から、引きこもりや不登校、虐待、非行などの増加を列挙する一方で、不確かな知識を基に発達障害について誤った指摘をする。
発達障害のある子どもたちの場合、彼らに対する無理解や対応のまずさから、いじめにあったり、不登校や非行に追い込まれることも少なくない。それは親の育て方ではなく、むしろ彼らを取り巻く家庭・学校・社会環境そのものをどのように整え、改善していくかであって、単に親のこころの在り方だけの問題ではない。
わが国では学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、自閉症などを総称して、法的には発達障害というが、こうした子どもたちは彼ら自身の発達そのものに特徴があって、その個性的な存在となることが知られている。かつて自閉症の原因論として、『親が愛情を持って接していないからだ』など、いわゆる心因説、環境説がまことしやかに流布された苦い思い出がある。こうした「親の関わり方」や「育児の失敗」、「テレビの見過ぎ」など・・・およそ今では誰も言わないようなことが原因として挙げられ、その矛先が親、特に母親に向けられることも多々あった。こうした的外れな指摘がどれほど親や家族を苦しめてきたか、その歴史を教育や心理を専門にするもなならば誰でも知っているはずである。
 
二次的障害の防止との混同
発達障害の場合、それを軽度障害というべきではないという見解を多くの専門家は持っている。なぜならば身体障害や知的障害と比べインビジブルな発達障害はどちらかといえば「見えにくい障害」という特徴があり、それゆえに理解や対応に遅れと困難さが伴いがちだからである。
発達障害のある人が、周囲の理解を得られず、家庭や学校・職場でたくさんの誤解、叱責、いじめなどを受け、もともと持つ本来の障害とは別に、二次的に心理的なプレッシャーから問題を抱えてしまったり、困難さを増幅させてしまったりすることがある。これらは二次障害と呼ばれるもので、適切な理解と対応によっては回避することもできるわけで、支援プログラムではこの二次障害の緩和を最初の環境調整や指導目標にすることはよくある。
また、一般にさまざまな虐待やネグレクトのケースを見ると、やがて周囲との関係性がとれなくなり、一見、自閉症と似た症状をみせることもある。そうしたときは、虐待という環境そのものを改善し、育て直しをすることで解決できるケースがある。この条例案では、その虐待等によるものと、発達障害への無理解と不適切な対応から生ずる二次障害とを混同しているところに最大の問題がある。
今回看過できない点は、発達障害、虐待の予防・防止の基本と題する第15条『乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもりなどに深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる』にある。
 これでは親の育て方次第で、発達障害が予防・防止可能なように見える。繰り返しになるが、発達障害は『乳幼児期の愛着形成の不足』が原因になって起こるものではないということをはっきり言っておきたい。発達障害は子ども自身の発達に要因があり、親の育て方の問題ではない。

「親学」に名を借りた、勇み足を超えた大いなる踏み外し
条例案には、民間の、親の学び、親になるための支援ネットワークの構築推進、さらに「親学アドバイザー」など民間有資格者の育成支援が謳われているが、どうもこの「親学」なるものがその背景となっているようだ。ところでこの「親学」なるもの、もっともらしさの半面、一方的で表層的な常識内の主張であることを強く感じる。
では、教師をはじめ、発達障害の子どもに関わる者は、どう考え、対応していけばよいのだろうか。「子どもの状態を正確に知る」ということが、科学的な理解・対応の第一歩である。一見、自閉症のように見えていたけれども、実は家庭環境に虐待などの問題がある場合であれば、教育が福祉と連携をとりながら、具体的に対応していく必要がある。
支援やサービスは、利用しやすく、効果がなければその名に値しない。そこには専門性に裏付けられた深い科学性がなければならないことはいうまでもない。古い指示的カウンセリングのように、一方的に親のあるべき姿を声高に述べたり、説得したりするところからは、子どもを育てる豊かな環境は育たない。浅い知識でこのような論理展開することも安易すぎ、これは「親学」に名を借りた、勇み足を超えた大いなる踏み外しである。
親を責めるのではなく、その親たちが安心して子育てできるように、子どもの状態や背景を科学的に見通し、医学や福祉などの諸機関と連携しながら、本人も親もしっかり支えることのできる環境づくりこそが根本的な解決につながる。
混迷する現代、親から受け継いできたよりよい伝統もまた反映されにくくなってきている。時代錯誤的に逆戻りするのではなく、新しい時代の変化の中で互いに支え合える環境を作り出すことが大切である。今回のことを契機に、発達障害に対する深い理解と正しい対応についての知識が、全国に広がっていくことを心より願うものである。(了)

発達障害をめぐる福祉行政の課題

  • 2012.07.09 Monday
  • 08:50
平成17年の発達障害者支援法の施行以降、さまざまな関連法律にも発達障害が書き込まれ、具体的施策にも反映されて来ました。教育行政から福祉行政への広がりは生涯発達という観点からも非常に大切な視点です。障害者の範囲の見直しとして、発達障害が障害者自立支援法の対象として明示されたのに続き、今般、児童福祉法においても障害児の定義に「精神に障害のある児童」が追加されました。10年ぶりに実施された義務教育段階の発達障害に関する全国調査の秋に予定されている発表も、そうした施策の充実化に影響するものと期待しています。
しかし、障害者雇用促進法における発達障害の扱いが大きな壁になっているようです。こうした問題に長く取り組んできた元厚労省専門官の日詰正文さんのお考えを知る機会がありましたが、その見解は核心をついており考えさせられます。私なりに理解した部分をご紹介します。
○障害者雇用対策が、障害福祉と異なっているのは、従来から統合失調症やうつ病を中心とした精神障害と発達障害を明確に切り離してきた点です。これは否定的な意味ではなく、障害福祉が「なんとなく含まれている・・」としてきていたのに比べ、発達障害を別立てで取り上げ事業化してきたという積極的な姿勢の結果です。厚労省の中では最も熱心な取り組みをしてきた分野だと思います。(JDDネットの山岡修さんが、代々の諮問会議等に参加して、発達障害の理解に頑張ってこられました。)
 ○障害福祉は基本的には福祉サービス事業所には契約以上の義務は生じませんが、障害者雇用では「雇用義務をかける」という国の施策としての強制力を伴うものである以上、企業に対するノウハウの徹底、対象者がかなりの数になるにもかかわらず適切な対象者を限定する仕組みがない(障害者手帳を要件としなければ)、その方法の確立が、発達障害はまだ不十分だという判断がされているのだと思います。
○発達障害の位置付けの明確化をした場合の最悪のシナリオは・・・、まだ不安定な発達障害の診断技術により対象となった発達障害者が多数申請を行い、不十分な理解のままの企業が採用した結果トラブルが多発し、発達障害者に対する偏見を助長してしまう・・。非現実的とは言えないように思います。
 ○児童福祉法の場合は、発達障害を明記しなければ児童発達支援の対象外になってしまって支援が使えない可能性がありましたので、法律改正の対象にエントリーでき、それを起点にして自立支援法、基本法の改正につながりました。今後、障害者雇用促進法の第2条に明記していくことが大きな進展につながる課題といえます。

WISC-犬硫鮗瓩亡悗垢詼殘情報

  • 2012.06.01 Friday
  • 12:07
長くお待たせしておりました
6月、翻訳「WISC-検[彎嘉利用と解釈」(日本文化科学社)が出版されます。

またエッセンシャルシリーズ 「新しいLDの判断」もただいま校正中です。

エッセンシャルシリーズ 「WISC-検廚盧G中の出版が予定されています。

さて、「新しいLDの判断」の原著者のまえがきは、アセスメントの歴史的変動を踏まえており、まえがきとはいえ
たいへん面白かったのでその一部を紹介します。

「米国教育省の全国教育統計センターの統計によれば、合衆国で学齢に達した児童で最も多い障害は特異性学習障害(SLD)である。実際、それは学齢に達した障害のある児童のほぼ半数にあたる。この領域で仕事に従事していない人々からはこの事実は驚きをもって受けとめられることだろう。というのはSLDについての一般的な定義はあっても、基本的には1975年以来変わっておらず、SLDのある児童を判断する最善のモデルについての合意はほとんど得られていないからである。
障害のある児童に対して自由で適切な公教育を与える合衆国の公立学校にたいする連邦法(全障害児教育法:PL94-142)の最初の改定から、最新の2004年の再承認、改定障害者教育法(IDEIAとして知られる)に至る道程では、常に多くの論争があり、SLDを判断するための最善の方法についての意見の相違はさらに大きくなっていった。2004年以前におけるIDEAのさまざまな改定での連邦施行規則でも、SLDの診断では知的能力と学力の間に明確なディスクレパンシー(差異)の存在を必要としたが、必ずしも十分な条件(特殊な状況下を除けば)ではなかった。IDEAの付帯規則(連邦政府官報、全307ページ..)では、1975年法に書かれている基本的なSLDの定義はそのままに、この必要条件を撤回し、代わりに、学校がSLDを判断する場合、次の3つの基本的なアプローチの一つ、もしくは組合せて使うことを認めた^柄阿竜則にある明確なディスクレパンシ―基準、学習課題(RTIアプローチとしてよく知られた)に対するエビデンスに基づく(科学的な)生徒の応答プロセス、9颪泙燭話楼茲龍軌薺ヾ悗、SLDを判断するために科学的あるいは研究に基づいて行うその他のアプローチ。
 連邦施行規則の変動性と曖昧さ、そして何か新しいことを、それもかなり急いで行うという学校にかかる圧力は現場を混乱させ、SLDそのものをどのようにうまく判断するか超えた、かなり議論のための議論を呼んだ。十分な議論を尽くさぬままに、(基本的にK(就学前1年)から12学年の)学齢児のSLDを判断に関する施行規則が、連邦政府の予算を受ける公立・私立学校にのみ適用されたことに注目してほしい。単科大学・総合大学、社会保障庁、州のリハビリテーション課、医療機関、裁判所等の他、SLDに関する判断を行い、サービスの提供ないし費用支給を行う機関では、SLDの判断についてさまざまな方法とさまざまな規則によって行ってきた。K−12の学校システムで最も良い方法で診断されてきたものが他の機関では認められないといったこともしばしばあり、診断された本人、両親、そして機関もまたとまどうのである。これは、連邦の判断システムがどのようにSLDを診断するかに関して究極の決定役割を果たす可能性の高さを示すものである。連邦政府の変動性とUSOE(合衆国教育省)の明確なガイダンスの欠如による広範囲な訴訟可能性に対して、私がよくIDEIAを『2004法の教育関係弁護士への福祉』と称する理由である。
 SLDのある人を判断する正確で適切なモデルの問題は、研究者と実践家に対して今日もっともうまく実施するためにと、たくさんの工夫を凝らしたモデルが理解するために提供されているが、学術関係者からはかなり厳しい目を向けられている。本書は、それぞれのモデルの明快さを損なうことなくこの領域に実際的に足を踏み入れ、簡潔に説明している。そして、この本は、学齢児を主に扱っているが、読者は教育、医療、心理測定、神経心理学的モデルがさまざまな章で取り扱われていることに気づくだろう。
著者の何人かは判断(判定)と援助(介入)を強調するが、前半の章では、読み、書き、算数、口頭表現、聴取といった学力に関する領域でのSLDの明確な説明に努力がはらわれている。やはりここでも何人かの著者は、判断と援助について強調する。脳の神経心理学的な組織の違いについての議論がある:特異な障害についての議論;SLDの核心部分としての発達の遅れについても引き続き議論される。SLDは障害としては非常に異質なグループであることを仮定する程、特定の章で触れてはいないが、その背景となるメカニズムは他の誰とも異なることは、多くの著者がその現実を明らかに認めている。
 後半部は、LDの判断モデルと方法について力点が置かれている。そして、ここでも我々はさまざまな見解に出会う。その部分を読んだ後に、それぞれ理にはかなっているものの、両立はしない現存するモデルをその数だけ使ってみるしかないことがわかる。特に、さまざまな州の教育機関でいかにたくさんのモデルがあり、多くの他の政府機関はそのことについて言及はせず、全く異なるアプローチのプログラムが使用されていることを知ればうなづける。後半の章で紹介されるどのモデルも、SLD判断のために推奨されるアプローチとしての長所をもっており、それぞれの著者らはよい事例を示している。そうしたアプローチのいくつかは非常に類似しているにもかかわらず、異なる子どもたちを判断している。そうしたなかには、基本的に相容れないケースもある。例えば、学習の基礎となる基本プロセスの一つないし複数に障害があるために絶対必要であると強調されることも多々あるが、少なくともSLD定義によって、アセスメントあるいは考慮する必要さえないと退けるものもいる。
FletcherたちはRTIモデルこそ実施上最高のものと認めており、彼はその診断方法とモデルについての明快な紹介に的を絞った章を書いている。彼の筋の通ったアプローチは推奨に値するが、残念なことに、多くの州ではさらにもっと急進的なRTIのみのアプローチを採用している。それはFletcherが見事なまでに指摘しているが、まさにお粗末な実施というより、連邦施行規則と矛盾するものである。Naglieriは、他のどのモデルよりも理論的ではあるが、アプローチに対しては経験的に支持され、実施面でも実際的なアドバイスを提供する常に特異なモデルに拠っている。Haleらも同じく理論的な基盤をもち、そしてRTIアプローチをより伝統的な神経心理学的なモデルと統合しようとするものである。Berningerは、障害の重複性に直面しつつLDのいくつかのタイプの診断と措置に関する複雑な問題を扱うなかで、非常に完成度の高い仕事をしたが、問題の一つは多くの既存のモデルが、特にRTIのみのモデルという浅さがあった。彼女のエヴィデンスに基づく事例や早期判断と対応の強調はしっかりとしている。本書の編集者でもあるFlanaganと Alfonsoは、SLD判断へのCHCアプローチを明確にする際に、最初にCHCモデルによってどのようにSLDを定義するのかと理由について述べ、次いでCHC文脈でのアセスメントアプローチの適用に触れる。最後に、Ortizが、 SLD決定における障害と文化的および言語的差異との区別についてさまざまな角度から助言してくれた。お気づきのように、文化と言語に基づくそうした診断の誤りを避けることについてのこの種の具体的な助言は少ない。『差異は障害ではない』という意味で、1970年代からのE. Paul Torranceの研究を読むことで多大な利益を得ることができた。こうした研究は関係する領域に強い影響を与え、SLDの発達や原因についての理論化、援助の解釈、広く用いられるSLDの主要なモデルなどについて大きな貢献をした。編者らは、判断モデルについての視点を明らかにし、十分にその特徴を説明する著者の選定に関して実に良い仕事をしたとおもうが、それはこの本をていねいにお読みいただければお分かりいただけると思う。読者にとっての最大の問題は、いずれも魅力的であっても、どのモデルを受け入れるかを決めなければならないことである。本書の各章の著者は、私とは研究的なやりとりのあった方々であり、いくつかの問題では相いれない意見をもつ場合もあったが、他では一致していることに気づく場合もあった。そこで、特定の診断モデルを採用し推奨する上で、ここで提示されるモデルとは大きな乖離を感じる人々のなかに自分を置かなければならないこともあった。我々はこの仕事のなかで、意見の不一致から学ばなければならないことも多々あったし、まさに、モデルや方法についてのそうした意見の相違や相いれなさがあってこそは科学は繁栄する。私は、科学が前進すれば、これらのモデルのすべてが、SLDをもつどの人にも等しく、正確で適切な診断のための長所と実用性をもつことが判明するとは思わない。SLDをもつ人は異質なグループを形成し、我々は彼らを正確に判断するためには本書で触れてきたように客観的でエヴィデンスに基づいたさまざまなモデル(十人十色)が実際に必要となるだろう。今日、すべてにおいて汎用性があり明快なシステムを作ることができるならば、すべての生徒に対するSLD診断について、一つの答えを探し求める旅は終わるだろう−それこそが進歩といえるのである!

Cecil R. Reynolds
バストロップ、テキサスにて

発達障害と手帳

  • 2012.03.11 Sunday
  • 10:09
(今回掲載遅れました)

現在、障害者手帳は、身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者健康福祉手帳の3種です。発達障害に特化した手帳と言うものはありません。今後の動向によっては発達障害者手帳と言うのも出来るかもしれないという期待もありましたが精神障害者等という表記の変更によって発達障害もその中に入れるという見解が主流です。
療育手帳は知的障害者の手帳であり、知能の遅れがないともらえないと言うハードルがありました。
LD(学習障害)児・ADHD(注意欠陥多動症候群)・高機能自閉症/アスペルガー症候群など軽度の発達障害の子ども達は、知的発達の遅れが顕著でないため、療育手帳を取れる子どもはごく少数でしたし。取れたとしても、最も軽度の「B2」が多かったと思います。発達障害があって生活に困難を抱えている、けれど療育手帳には該当しない。そうしたときどうすればよいかという問いがよくありました。しかし、平成14年4月より、自閉症(発達障害)との診断書を添えれば、療育手帳の申請の際に障害が考慮されるようになりました。
発達障害と精神障害は厳密には違いますが、発達障害独自の手帳による支援制度はなくて、以前から「発達障害者支援法で定義される発達障害にあてはまる人は精神障害者福祉手帳の対象となりうる」と厚生労働省は通達を出していましたが、最近、さらに一歩進めて、精神障害のなかに発達障害を含む、精神障害者等とする見解です。ということは、発達障害の診断を受けている方でも、精神障害者保健福祉手帳の取得への道がさらに開かれつつあるということです。
JUGEMテーマ:教育


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